淩統伝に甘寧はいない
正史(ちくま)の淩統伝には「甘寧」の「甘」の字さえヒトッッッツも載ってないのに、甘寧伝には淩統のエピソードが載っている。
いち甘淩ヤクザとして見逃せない点だ。
今回はそれぞれの伝の淩統に注目していきたい。
まずは甘寧伝の淩統についておさらい。
甘寧が、淩統の父・淩操を射殺したという記述がある。のちのエピソードからは、甘寧に対し積極的かつアグレッシブな姿勢の淩統像が見て取れる(俗にいう「剣舞事件」とか、普段から甘寧が警戒してたとかいう記述から)。
そんな感じで、淩統には甘寧を意識しており、仇討ちをしたいという気持ちがあったことがほのめかされている。
淩統伝はというと淩操は流れ矢で死んだとある。流れ矢となると誰に殺されたか特定しづらいはずだ。甘寧について触れてはいない。
そして淩統像はというと、基本的にめちゃくちゃ良い人だ。財を軽んじ義に重く、若いものの国士の風があった。
玉に瑕だというエピソードを挙げるとしたら、やはり前に記事でも触れた、麻屯での陳勤殺害事件くらいじゃないかな?
とにもかくにも甘寧との関係性をまったく匂わせないのが淩統伝だ。
どっちの伝を採用するか。はたまた両伝ともに採用するか。
今まで個人的には、両伝を信用し、両方採用して重ね合わせた淩統像を構築してきた。
甘寧は淩操を殺したと主張しているが、実際はそうではなかったとしたら?
甘寧と淩統が仇という関係で繋がっていないという考え方は非常に興味深い。
国士の風のある大丈夫(りっぱな男子)に無理に関係性を押し付けている男…。気が狂っている…。
甘寧からの淩統へのアツいベクトルを感じる。
やはり甘淩は…あります…!
そんな感じで、列伝の記述をたまには信用したりしなかったりするのも、新しい見解が生まれておもしろい。と思ったのだった。おしまい。