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甘凌情報収集&創作ノート

色々は内緒

和解したのかしてないのか辺りの甘寧×凌統です。

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敵襲だと思って急いで服を着こんでいるのを止められたところで
ようやく意識がはっきりとしてきてついでに色々なことも思い出した凌統でした。 仮にも軍人なので起きてすぐ臨戦体制を整える訓練受けてそう…。

2コマ目で寝汚い凌統の衣をそっと正す甘寧のやさしさを示したつもりが見づらい。

故事というのはご存じ「断袖」です。

メモ–仇討ちについての言及・先例

礼記典礼上』に「父の仇は、与に共に天を戴かず。兄弟の仇は、兵に反らず。交遊の仇は、国を同じくせず(父の仇とは共にこの世に生きることをせず、どちらかが死ぬまで闘う。兄弟の仇には、兵器を取りに家に行かずその場ですぐ闘う。朋友の仇とは同じ国には住まない)」とあるのに基づく。

 

漢文
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳。

書き下し文
或(あ)るひとの曰わく、徳を以(もっ)て怨(うら)みに報いば、何如(いかん)。子曰わく、何を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

原文
爲無爲、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。圖難於其易、爲大於其細。天下難事必作於易、天下大事必作於細。是以聖人終不爲大、故能成其大。夫輕諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難。

書き下し文
無為を為(な)し、無事を事(こと)とし、無味(むみ)を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以(も)ってす。難(かた)きをその易(やす)きに図(はか)り、大をその細(さい)に為す。天下の難事(なんじ)は必ず易きより作(おこ)り、天下の大事は必ず細より作(おこ)る。ここを以って聖人は終(つい)に大を為さず、故に能(よ)くその大を成す。それ軽諾(けいだく)は必ず信寡(すくな)く、易きこと多ければ必ず難きこと多し。ここを以って聖人すら猶(な)おこれを難しとす、故に終に難きこと無し。

 

国史には仇討ちの物語が数多く存在する。その中でも個人的に印象的なものをいくつか挙げる。

「死屍に鞭打つ」の伍子胥。彼は父と兄の仇討ちに燃えるも、仇は先に亡くなってしまう。そこでその屍に鞭を打って気持ちを晴らした。

その主君であった呉王夫差は越王勾践によって父を討たれた。遺言された彼は、復讐心を忘れないようにと「臥薪」し、越王勾践を会稽にて滅亡寸前のところまで追い込むことに成功する。

越王勾践はこの辱めを「会稽の恥」として、四六時中「嘗胆」することで呉への復讐心を堅固にし、彼によって呉は滅ぶこととなる。

この三人は紀元前の春秋時代の人物たちだ。相関関係にある上、各自復讐心を燃やしている。う〜ん壮絶な時代…みんなろくな末路ではないというのもポイントだ。

 

また、先に上げた相関関係の外ではあるが、同時代に亡き主君のために孤軍奮闘した烈士がいる。予譲である。

彼は主君である智伯を趙無恤によって討たれた。一人戦禍を逃れた彼は、「士は知己(ここでは自分のことをよくわかってくれる者)のために死ぬ」と言って復讐を誓う。しかし二度暗殺を試みるが失敗に終わる。最後にはせめて趙無恤の着衣を撃つことで仇討ちのかわりにしたいと願い、着衣を刺し貫いたのちはこれで主君に会えると言って自刃した。

関羽瀬と甘寧塁

※例によって精読はしていません。

甘寧傳》 甘寧……後隨魯肅鎮益陽,拒關羽。羽號有三萬人,自擇選銳士五千人,投縣上流十餘里淺瀨,云欲夜涉渡。肅與諸將議。寧時有三百兵,乃曰:「可復以五百人益吾,吾往對之,保羽聞吾欬唾,不敢涉水,涉水即是吾禽。」肅便選千兵益寧,寧乃夜往。羽聞之,住不渡,而結柴營,今遂名此處為關羽瀨。
或說甘寧誇口關羽聽見他吐口水的聲音,便不敢涉水進軍,該地怎會得名關羽瀨?應該是甘寧瀨。其實不用爭這名,關羽屯兵資水北岸得名關羽瀨;甘寧築城資水南岸獲稱甘寧壘。

甘寧関羽を退けたという活躍を示したはずの逸話のはずなのに、なんでその地名に関羽瀬って名前がついてるの?
という誰もが持つであろうギモンに答えが出る記事です。

関羽が軍を駐屯させた資水の北岸を関羽瀬と呼び、甘寧が資水の南岸を得て築城したところを甘寧塁と呼んでいたみたいですね。
甘寧の名が地名としてしっかりと刻まれていた…。ちくまの正史を読み返すたびなぜ関羽の名を…!?と悶々としていたので、いち甘寧ファンとして非常に嬉しいです!
リンク先では甘寧塁に関わる後代の歴史についても詳述されています。

甘寧故壘在益陽縣南一里又名夜月臺水經注闗

こちらにも甘寧故塁として名前が登場しています。

孫晧に墓を荒らされる甘寧?

伏滔《北征記》曰:姑熟西北有甘寧墓,孫皓時,占者云,墓有王氣,皓鑿其後十許里曰直瀆。

孫晧さんこんなことばっかしてるからタマ腫れるのでは…