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甘凌情報収集&創作ノート

遅咲きの部将

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(これは写真を参考にして描きました)

前置きとして、甘寧は自分にとって最も好きな部将の一人であり、以下の内容に貶したい気持ちなど欠片もないことをご留意ください。

甘寧はむかし官吏の仕事を少ししたくらいで、若い頃はやくざのような暮らしぶり、高齢になるまで大した仕事はしていない。

こういう人を重用しろというのはけっこう、無理が大きかったのではないでしょうか。

甘寧を冷遇した人として、黄祖がいます。彼は甘寧みたいな猛将(※のちの評価)を扱う器ではなかったとして酷評されることが多いのですが、それって本当に器だけのせいだろうか?と思います。そもそも器からはみ出る甘寧にも原因があるのでは?ということです。

冷静に考えたらただやくざな経歴を持つだけのおじさんである甘寧。しかも、やたらと血の気が多い。実力がいかほどであっても、器以前に持て余しそうだと思います。

当時の彼の戦績といえば、203年の夏口で孫権軍と戦った時、軍をかえす際に難しい役割である殿(しんがり)を務めたことや、その時ようやく名のある部将・凌操を倒したということですね。

扱いづらいな〜と思ってちょっと働かせてみた人物が予想外に働いた。でも扱いづらいからだから重用するのもな…と気が引ける黄祖の気持ち、わかる気がします…。

これは想像なのですが、甘寧の部下だけを引き抜いて彼の戦力を削ったのにはそういった背景があり、ゆえにとりあえず飼い殺しにしとようとしたのではないでしょうか。結果的に亡命防止策としてそれが功を奏して、甘寧が「志があってもどうすればいいかわからない」状況に陥った…。

ただ、黄祖にとっての計算外は蘇飛が甘寧の亡命を幇助したことですね。

 

そんなこんなで蘇飛の手を借りてようやく身の振り方を考えることになる、はみ出しものの甘寧(もうおじさん)。

西からはすでに逃げて来た身です。選択肢は北上するか、さらに東へ赴くかに分岐していたはずです。ではなぜ東を選んだかというと、やっぱり孫権に自己PRする方が容易かったからでしょう。

甘寧は203年の戦で東の勢力、孫権の軍勢と接触しています。そこで先に上げた「殿を務めて軍をかえしたこと」「凌操を倒したこと」という経歴が生まれました。

それに加えて、敵対していた黄祖軍にいた甘寧孫権に寝返れば黄祖軍の内情が丸わかりです。喉から手が出るほど黄祖の首が欲しかった孫権にとって、甘寧を容れるメリットは魅力的です。扱いづらいというデメリットが霞むくらいには。

対する北には自己PRの材料がない…というか失礼ながら、甘寧には、才能がある者を好む曹操がとりたてて見出すほどの実績がないように思われます。

 

甘寧は消去法的に孫権の元へ…。